昭和49年1月4日 朝の御理解


 御神誡一「幼少の時を忘れて親に不孝のこと」

 お道の信心は、親に不幸をするような人ではお道の信心をする資格はないとさえ私は思う。だから勿論おかげも受けられるはずはないと思う。親に孝行する、いわゆる親に喜んでもらいたくてたまらん、いわゆる親に喜んでもらいたくてたまらん。親孝行がしたくてたまらんという性根の人が信心をするなら必ずお徳を受ける。とにかく、親孝行は神様に喜んで頂く、心の中でも一番喜んで頂くあり難い、喜んで頂く心ではないかと思うですね。そこで親孝行と言う事が、親のいいなりになるというような事では決してないと思うですね。
 あれは平重盛ですね。「忠たらんと欲すれば考ならず、考ならんと欲すれば忠ならず」といったような風に重盛のいうなら悩みであります。お父さんが言うとおりすれば天皇陛下に対して、(・)なるし、天皇陛下の事を中心に思うて言えば、親に言う事を聞かれなくなる。さあどうしたものかという悩みなのですけれども、お道の信心をもし平重盛が頂いておったらね、そんな相反することはないと思う。ね。
 考え方の上にそこんところを桂先生がこんな風に教えておられます。「親に孝行をして、神に不幸をし、親に不幸をする氏子がある。神に孝行をして親に不幸をし、親に孝行する氏子がある」とこう仰っておられます。だからその過程においては分からんのです。止むに止まれん親に孝行したいばっかりの一念その思いがです、親に不幸をしておるかに見える場合もあるです。その代わり神に孝行をしておるのです。私の修行時代から椛目時代の事を思うと、そういうような感じが致します。ね。親に、親に肉親の親の言う事も聞かないし、親教会長であるところの親先生の言う事も聞かないし、ただただ神様一途、神様のいわば仰せにはそむかれんという生き方。それは例え親が言うても神様の仰せには背かれませんという生き方。
 その生き方を貫かせて頂いておりますから、段々親が私ほど幸せなものはなかろうと、まあ言葉を借りていうなら、そのように思うてくれておるのではなかろうかと思うくらいに、いうならば親孝行が段々出来てきたように思う。なら私が現在でも、撫でたり擦ったりしてあげるわけでもないが、良い家を建ててあげたとか良い着物を着せてあげたとか、ね、良い食べ物を食べてもらうとかというような事には一つも心を使わない。まあ、しいていうなら、月の4回の月次祭の夕食を私は、まあ行くのもだから、殆ど月の四、五回しかいきません。ね、同じ屋根の下に住んでおってからそうです。この頃から、母がご飯がいけんいけんといいよりました。ところが私が一緒にお食事をさせて頂きますと、今日はご飯が美味しかった。先生と一緒やったけんご飯が美味しかったと言うて喜んで下さる。本当に美味しかったらしいです。かといって、私は毎晩行って一緒にお食事をしたからというてなら、いつもいつも美味しいということはない。 
 それこそ、1週間にいっぺんかその位、いうならば息子と一緒に食事をさせてもらう事が心が生き生きと喜んで行くことになってくる。それが食事までも一緒に美味しく頂けれるようになってくるということであって、決して撫でたり擦ったり、良い着物を良いおご馳走を、と言う事が親孝行だけが親孝行ではない、より以上の親孝行があるというその、より以上の親孝行を願わせて頂くのが信心であり、だからこそ、私は、ね、いうならば考と忠とが相反するような事はない、それは、親に孝行したくて、いうならば本当にこの親に孝行しなければと、止むに止まれん思いが私の信心を、まあいうなら、欠き立て欠き立てたと思うのですけれども、それが段々信心のおかげでです、より大切な親、よりもっと大きな偉大な親に気ずかせて頂くようになったら、その偉大な親への孝行を一生懸命させて頂きよったら、いうならば桂先生のご理解を持ってすると「親に不幸をして神に孝行してその後に親に孝行する氏子がある」という所を本当の意味においての親孝行が出来ていっておるように思う。
 昨日は親教会の御節でしたから私共夫婦でおかげを頂きました。昨日は総代さん方の大体別ですけれども、一緒に見えて、ちょっと話し合いが色々ありましたから、あちらの御造営についてでした。渕上先生が私が昨日秋のご大祭の時に行徳先生が見えたあの時、その後に挨拶をさせて頂いた時に親教会の御造営についての私の抱負を皆さんに聞いてもらいました。その時に渕上先生が昨日言っておりましたがあの時に、善導寺の教会からも何人もお参りがあっとったけれども、もう私の話の時には皆たってしもうて、私の一人であったと。渕上先生と。そして、本当に善導寺の信者にも聞いてもらいたかった。あの時に大坪先生がお話しになったことをもう切々としてあの、親教会との関係、また御造営の事についての一心発起をされたしかもその次に生まれておる体験というものを、短い時間でしたけれども聞かせて頂いて、本当に善導寺の信者の全部に聞かせたかったというような話しを冒頭にして御造営の事についての話し合いがありました。
 最後に、腹割っての話を皆がしてもらいたい、最後に私に何か話せと言う事でしたから、丁度私が座っておるこの前に、最近御本部から頂いておられます、そのお書き下げの色紙がかかっておる。それを額に、それが、金光様の字はなかなか読みずらい、大変独特の字でありますし、けれども、それは何と書いてあるだろうかと一生懸命見るけれども、良く読みこなせないけれども、大体の意味は分かった。だから私はその事が、実は今日私はここに座ってからあの色紙をみせて頂いて、これからの例えば親教会の御造営の事にお互いが一生懸命まあ、たけだけ一層にその人なりの信心、または、ちからをもって御用をさせてもらわなければならんが、御用をするというたところで自分のするという力で出来ることはないと思う。そういうような意味のことがこの歌には書いてあろうごとあるですねというて、こういう、風なお詩でした。
「成すといえ成し得ぬ条件恩恵のなくば成し得ず何一つとして」という歌です。「成すといえ、成し得ぬ条件恩恵のなくば成し得ず何一つとして」。そういう意味においてです、私は成すといえ、成し得るという事、なし得るという条件というものが先ず第一なんだと言うことです。そして私は思うた。その成し得る条件というものがです、私が親に不幸をしておる。形の上においては、神に孝行して親に不幸をしておる、その時期に成し得る条件が揃うたな、足ろうたなと思うです。
 ね。ただ、恩恵を受けなければおかげを受けなければならん、おかげおかげというてもおかげの受け物なしにはおかげを受けられんのです。条件が出来なければ。恩恵を受けれる条件が揃わなければ。ね。恩恵を受けさせてもらう、おかげを受けさせて頂く為にはまず、まあ、私がそうであるとはじゃないですけれども、まず、心が美しくなられると言うこと。心が大きく豊にならなければならない。そういう条件がです、私が親に不幸をしておる間に出来たと思うです。そしておかげの働き、神様の下さるおかげの場と言う物がです、ね、ここのお広前建立と言う事によって人がいよいよ助かる事のための、これは形の上のことですけれどもそういう条件まで足ろうてきた。
 ね。私はここんとこを強調してお話しをさせて頂いた。私が二十数年以前にです、さあ御造営があるからというて私が出した。神様にお願いをさせて頂いて、もう、おそらくは金の十万だってできなかったろうと。けれどもその間にです私は成し得る条件と言うものが私のいうなら心の上にも又は形の上にも出来た。そして、私が一心発起した。これはどうでも合楽が一つ立ちあがらせてもらわにゃならん、おかげ頂かなければならんという発心したところにです、私は恩恵を確信する。合楽理念その恩恵がおかげを受けられると言うこと。という事を親先生が八月の祈願祭の時にお祝詞の中に御造営の事を申された時に私の心はあの時に決まった、あの時に一心発起した。そして、帰らせて頂いたら農協から預金のどうでもというて近所の方達が皆みえたという話しをした。もちろん帰られた後だったから明日もまた出なおすと言うことであったから、まっとったら翌日またみえた。そこで、もう一文もなかった。すぐ私はこれを御造営費にあてさせて頂く為にも、貯金させて頂くその勧誘させて頂いたという話しをさせて頂いた。ね。
 皆さんがおかげを頂くというてもね、おかげを頂く条件がまず出来なければだめですよ。おかげの受け場も受け心もなくて、そして恩恵恩恵と言うたところで頂けれるはずはないでしょう。それを私の場合はね、形の上においては親孝行ではなくて親不幸、もうそれこそ人間ですから分かりません。もう親でもなからなければ子でもないとまで言われる時代があった。もうそれこそ、親に弓吹くとまで言われた。ね。けれども今にして思わせてもらうと親に対して弓でもなかった、親に対する抵抗でも反抗でもなかった。只、もうより親孝行がしたい一念ばっかりがそう云うことであったと言うことになるのですよ。もし合楽がどれほどしの事が出来たからというてです、それで済んだとは私は本当に思わない。 よし例えば出来たところでです、それは親から受けておるおかげのいわば利払いのようなもの。これは私一代のことではない合楽のある限りがそうなん。どれだけの御用が出来たからというてです、ね、それは、親のところに理払いもしておるようなもので、元金をかやすほどしの事は絶対に出来ないと言うこと。私はそういう信念だと言うような話を聞いてもらった。
 大変非常に消極的であったその雰囲気が非常にこの積極的な早速そのなら、その事の為の祈願祭をさせてもらおう、総代皆集まってその事の打ち合わせをさせてもらおうという話しになってまいりましたがです、ね、私共がそれこそ幼少の時を忘れて、本当に私が先代、善導寺の先代の御信心がもしなかったら私はこの世にはいなかったかもしれん。ね。だから幼少の時の事を忘れたらです、親不幸になってしまうけれども、その事一時を思うただけでも、親に対する、言うならば親に孝行したいという一念はいよいよ募るばっかりです。そしてどれだけの事が出来たからというてそれは親に対する利払いのようにしかならないと私は思う。
 ね。そういうだから、事、親教会に何かという時にこの二十数年間のことを思うてみてです、ね、色んな角度からはあ、おかげを頂いてきたなとこう思う。そういうおかげの頂けれる、いわば、元はどこにあるかというとです、私は、形の上においては親不幸をしておったような、時代。人間心で見ると人非人とまで言われたけれども、人間にして人間にあらずと言われたけれども確かに私は人非人だと自分で思うた。そして、人非人というこはです、人にはあらずと言うことはもう人ではない、神様に向かって進んでおるという意味の人非人だと私は自負しておった。ね。もう人間じゃない。神様になっていきござる。いわゆる又そうでなからなければならないと私は思うておる。いうなら、一般から人非人と言われ思われておる時代にです、成し得る条件というものが出来た。そこに一念発起するところに恩恵が頂けれる事になる。
 ですから自分でしようと思うて出来ることは何一つとしてない。帰りがけに、そのお歌を写させて頂こうと。でこれをいわば今度の、三井教会御造営のいうならば心というかその芯をこの歌に(?)、おかげを頂きたい。丁度前に、(?)ちょっと聞いて帰って下さい。なんと紙切れを持ってきて頂いた。その紙切れにはこんな綺麗な字で(?)書いておられた。もう日本で何番かといわれるほどしの字ですからこれだけでも値打ちがある。それだけでもはない、金光様のお歌そのものが値打ちである。まあ、書いた人もまた立派である。これ頂いて帰ったのですけれどもね、もう本当にこの、ただ、普通のものがです成すと言え、成すと言え、成し得ると言うことがです、神様のおかげなくしてでは出来ないというところだけしか申しませんでしょうけれども、金光様の御信心の深さと言うものがここに感じますですね。成し得る条件という事を言うてある。その成し得る条件がです、いうならば私の親不幸時代に出来ておったということになります。
 皆さんでもそうです。そこに現在はその成し得る条件を一生懸命身につけておられる時だと思うです。そこに、例えば、それだけでもいかん。そこに一念発起させてもらってです、ね、神様にお縋がりするところから恩恵に浴する事が出来れる、そして、自分でも夢にも思わなかった御用が例えば出来るようになる。そしてそれは私はこげな事をしたとか、してあげたというのではなくて、神様のおかげで出来たという終始です、そういう心の状態でおかげを頂いて行くことが出来ると言う事を思うのです。幼少の時を忘れて親に不幸の事という事を、ただ、親の言う事にただ無条件にハイハイと言うことだけが親孝行ではない。ただしその親を神様と頂いたらまた別です。ね。
 けれども私の場合は親と神様というものがはっきりしておる。いわゆる桂先生のようにです、親に不幸をして神に孝行してその後に親孝行をしておるというそのほうを取らせて頂いて、おかげをこうむらせて頂きましたらおかげでね、どういう例えば御用が出来てもそれが慢心にもならなければおかげを落す元にもならない。
 昨日、私が申しました。例えばなら御造営という教会の御造営なんかのところに、とにかく、家屋敷をはろうたとか、田んぼを売ったとかという財産を減らしてからまでするというようなそれによって、おかげを受けた人もあるけれども、それで信心が絶えた人もあるからそういう事であっては私は金光様の御信心のおかげだとは言えないと。
 ね。おかげを頂いてね、実際におかげを頂いていうならば、その成し得る条件を頂いて頂くところの恩恵、それを持って御用にお役に立たせて頂きたいというのが私の心情。そこんところで色々な問題がありましたけれども、私はそのようにお話しさせてもらった。今日はみなさん金光様のお歌の中から皆さんがおかげを頂きたいやはりこういう、お歌の心が自分の信心の芯をなすものというかね、こういう思い込みが出来てからのね、御用でなからなければ、ちょこっとの事が出来るともうそれが鼻にかける。いわゆる、慢心が前にぶら下がるといったようなことではせっかくのおかげがおかげになりませんからね。
                                   どうぞ